福島県と茨城県の県境にある勿来(なこそ)
ここに奥州三関の1つ、勿来の関という昔の関所跡があるのです。
勿来は海沿いにあり、田舎の静かな町という印象。
そんないわき市のローカル観光地、勿来の関を詳しくご紹介するというのが、本記事の内容になっております。
勿来の関は資料館や遊具施設ありの家族でも楽しめる公園
- 勿来の関の場所
- 勿来の関の見どころは?
- 勿来の関の歴史など
以上のような流れで進めていきます。
勿来の関の場所は?
国道6号からは、離れ少し小高い山の上にあります。
茨城方面からですと、6号の勿来海岸沿いを左折します。
勿来の関跡という名の信号が目印です
常磐線の降下したをくぐる道路を通り進みますが、途中Y路地にでます。
右に進むとかなり細い道になっていきますので注意です。
少し遠くなりますが、左の道を進んだ方が無難ですね。
勿来のインターから来る場合
最短コースは勿来の住宅街を走りぬけ、細い道を通って関所跡にでる道です。
かなり道が細いですし、急な坂道が続きますので運転には注意してください。
勿来の関の見どころは?
勿来の関は広い公園になっており、駐車場は無料です!
様々な施設が点在しています。
勿来の関文学歴史館
勿来の関の歴史や江戸時代のころの暮らしなどを詳しく紹介した施設。
料金
大人320円 子供160円
定休日
毎月第三水曜日
時間
9:00~17:00 最終入館16:30
↓以前の旅日記の記事です
↓こんな事も勿来の関文学歴史館で学べますw
↑ 広場内には遊具施設もありお子様連れも安心です。
↑ 春には桜がさき乱れ、お花見にも良いです。
地元の小学校などは、この勿来の関が定番の遠足地。それくらい地元にはなじみのある場所です!
勿来の関の歴史
勿来の関ができたのは、奈良時代頃といわれています。
江戸時代の終わり頃には、奥州3関ともいわれ白河の関、念種が関、勿来の関の3つがそのように呼ばれています。
勿来の関は、(来る勿れ、くるなかれ)これ以上くるなという意味。
何に対してくるなというと、当時の東北地方に住んでいた蝦夷という民族。
日本の領地は、それまで福島県あたりを境にわかれていて、そこから先の東北は日本の領地ではありませんでした。
そのためその領地を日本のものにしようと、当時の征夷大将軍、坂上田村麻呂が討伐に向かったのです。
そして見事、蝦夷を退け東北を日本の領地にすることができたのです。
その際に、蝦夷に対して東北から先の地(茨城県から南)に、これ以上踏み込むなということで勿来の関ができたそうですよ。
実はこの田村麻呂の蝦夷討伐遠征は諸説あるのですが、もっとも気味が悪いのは岩手に伝わる地名です。
一関に鬼死骸などという、変な地名があるのですが田村麻呂が蝦夷征伐後も、蝦夷に対して鬼だなんだといって、死体を集めた場所を今でも鬼死骸という地名で呼んでいるのです。
しかも蝦夷って野蛮で極悪ということで知られているようですが、実際はそこまでではなく、蝦夷討伐も田村麻呂が仕掛けた挙げ句、蝦夷を徹底的にたたきのめしたということで極悪なのは田村麻呂のほうなのではと言われています。
征夷大将軍になったのも、実は田村麻呂で2代目。
1代目の征夷大将軍は蝦夷討伐失敗し、征夷大将軍を降りました。
1代目の失敗を2代目で取り返そうという、プレッシャーもあったのかもしれませんけどね。
ちなみに征夷大将軍は蝦夷を征するという意味でつけられました。
勿来の関の怖ーいお話
実は勿来の関って怖ーい話もけっこうあるんですよね。
昔は関所でしたが、なんでも今では自殺の名所になってると有名です。
これだけでもちょっと怖いですが、やっぱりでる霊は武士の格好をしているのが多いそう・・・
夕方以降いってみるとわかりますが、道路わきの樹木はうっそうとしていて、陽が落ちるのも早いし暗くなるとホント薄気味悪いです。
これは、むかし知り合いのおばあさんから聞いた話ですが
勿来の関公園に向かって、山道を朝方散歩していたら
急に霧がでてきて
霧の中から
血まみれの鎧を着た武士が何人もこっちに歩いてきたんですって!
そのおばあさんだけではなく、かなりの数の人が見たことあると地元では有名です。
また公園内駐車場にあるこのトイレ、ここの男子個室は要注意。
個室に入って用を足していると
急にトイレ中の金具がカタカタ鳴り響くんですって
施設が終わった17:00以降は近づかない方が身のためです。
おしまい